【親子で紡ぐ命の調べ】昆虫学者と彫金作家が織りなす、科学と芸術の共演
2025年10月17日〜19日、栃木県宇都宮市のギャラリーハンナで、昆虫学者の松村雄さんと彫金作家の松村麻矢さんによる二人展「虫譜・昆虫学者と彫金作家のかたち」が開催された。
長年昆虫研究に情熱を注いできた父と、その影響を受けながら独自の芸術世界を築き上げてきた娘。科学と芸術、それぞれの視点から昆虫標本の美しさや命の大切さにどのように向き合ってきたのか、そして親子で受け継がれてきた価値観や美意識について、じっくりとお話を伺った。
(左) 松村 雄さん (右) 松村麻矢さん
会場には、(父)雄さんが、長年研究し続けてきた栃木県の絶滅危惧種であるトモンハナバチの標本をはじめ、様々な昆虫標本が展示されている。
トモンハナバチの解説展示
●栃木県絶滅危惧Ⅱ類の希少種トモンハナバチ(ハキリバチ科)
展示入口には栃木県の塩原で松村雄さんが見つけ、毎年確認しているトモンハナバチが標本と共に解説展示されている。
トモンハナバチの生態:
●活動期間: 7月下旬〜9月上旬
●訪花行動: メスは花粉や蜜を求めてエゾミソハギなどに訪花
●営巣行動: 産卵期にはヨモギなどの柔綿毛(モグサ)をかき集めて巣床を作り、その中にツボ型の巣室を作って花粉ダンゴを貯えて産卵
トモンハナバチは、栃木県絶滅危惧Ⅱ類の希少種に指定されている。
企画展を解説中の松村麻矢さん
ハチ類(擬態モデル)ハナアブ類(ミミック、擬態者)解説展示
●昆虫界の擬態の不思議:ハチにそっくりなハナアブについて
近年、昆虫の擬態現象が生物進化の巧妙さを示す事例として注目を集めている。
昆虫の擬態の種類:
●隠蔽型擬態: 周囲の環境に溶け込んで目立たなくし、天敵の目を欺く
●標識型擬態(ベイツ型擬態): 目立つことで天敵を欺く
無毒のハナアブの中には、有毒な針を持つ危険なハチの擬態が多く見られる。昆虫にとって最大の天敵である鳥は危険なハチの捕食を避けるため、ハチそっくりの姿のハナアブには逃避効果があると考えられる。
展示では擬態モデルのハチ類と擬態者のハナアブ類を展示し、見比べ比較することで、生物進化の巧みな現象の一面を感じていただけるよう構成されている。
松村雄さんの標本と展示解説
続いて、昆虫標本と麻矢さんの彫金作品がコラボレーションした展示へ。自然とアートが融合した空間には、昆虫標本と精密に作られた彫金の造形美が楽しめる作品が並んでいる。羽の模様には着物やアールヌーヴォーのデザインが取り入れられ、身近な昆虫たちがアートとして新たな命を吹き込まれている。
ヒメクロホウジャク の昆虫標本 と彫金の作品
麻矢さんの解説:
これはヒメクロホウジャクです。すごいハチドリみたいに可愛い蛾なんです。羽の模様に着物の柄やアールヌーヴォーの柄をミックスさせてデザインしています。半立体になっています。
オオスズメバチの標本と彫金作品
次のスズメバチでは、(来場の)皆さんが、思ったよりスズメバチが大きいと、驚いていかれます。ちょっと面白い作品です。この部屋全体がそういった形で彫金と虫をテーマにした部屋になっています。
ーと解説いただいた。
さらに、雄さんがネパールで出会った珍しいネパール・ヒマラヤ産の昆虫や、麻矢さんが小学校時代の自由研究で取り組んだウスバカゲロウの標本と作品が展示されている。幼少期から虫と向き合ってきた経験が、現在の作品作りにも生かされていることが伺える。
ネパールに関する展示
●ネパールとの縁:松村雄さんと昆虫標本
松村雄さんは、1968年の大学院時代に初めてネパールを訪れ、昆虫調査を担当したことをきっかけに、長年にわたり現地での調査や交流を続けてきました。2002年にはJICAのボランティアとしてカトマンズの自然史博物館で活動し、2015年には日本に持ち帰って研究した昆虫標本を一部自然史博物館へ里帰りさせるなど、ネパールとの深い縁を築いている。
今回の企画展では、松村雄さんが、現地で収集した希少なネパールヒマラヤ山の昆虫標本2種をエピソードを交え解説。ヒマラヤ山麓の豊かな生態系と自然の魅力を伝えていた。
右:ヒマラヤナガクチアブ(仮称)と左:ヒマラヤオオミツバチ
●ネパールヒマラヤ山の昆虫2種
●ヒマラヤナガクチアブ(仮称)Philoliche longirostris
ヒマラヤ山麓に生息する世界一長い口吻を持つアブ。学名のlongirostrisは「長い口吻」を意味する。松村雄さんはカトマンズ郊外のフルチョク山の中腹(標高2,000m)で本種に出会った。ショウガの花に向かってホバリングしながら長い吻を差し入れて花の奥にある蜜線から吸蜜。メスが動物から吸血する時は長吻は延ばしたままで、その下に隠れた短い物を刺して吸血する。●ヒマラヤオオミツバチ Apis laboriosa
ヒマラヤオオミツバチはヒマラヤ山麓に生息、熱帯アジアの低地に広く分布するオオミツバチと高度的に棲み分けしていて、オオミツバチより大型で黒っぽい特徴がある。断崖高所の窪んだ空間に垂れ下がる巨大な巣を作り、巣に近づくと激しく攻撃してくる。最近テレビで「ヒマラヤの蜂蜜ハンター」などと放映されて観光化の傾向があるのが懸念されている。
ウスバカゲロウの展示
麻矢さんの回想:
これはウスバカゲロウです。アリジゴクの成虫で小学校の時、自由研究で、幼虫のアリジゴクを研究したことがあって、小学校の時の自由研究はほとんど虫だったので、これはアリジゴクの中にいろんな虫を入れて、どんな虫を食べられるかという実験をしましたね。
ーと当時のエピソードと作品の解説を語っていただいた。
会場の様子
最後に、父との思い出と共に昆虫の標本、そしてリアルな昆虫標本と彫金作品が並ぶ空間が広がる。長年温めてきた企画が、親子の協力で実現できたことへの喜びが語られた。
昆虫学者の松村雄さんと、彫金作家の松村麻矢さん
インタビュー中の様子
ここからは、昆虫学者の松村雄さんと彫金作家の松村麻矢さんに、科学と芸術それぞれの視点から、昆虫標本の美しさや命の大切さにどのように向き合ってきたのか、また親子でどんな価値観や美意識を受け継いできたのかをお聞きします。
昆虫学者 松村雄さん
松村雄さん プロフィール:
北海道札幌市生まれ。幼少期から自然に親しみ、北海道大学で動物学を学び、ハナバチの生態を研究。1968年にネパールで昆虫調査を経験。1970年から農水省で約30年昆虫研究に従事し、退職後は那須塩原市で地域の昆虫研究や自然環境教育に取り組んでいる。
彫金作家 松村麻矢さん
松村麻矢さん プロフィール:
武蔵野美術大学を卒業後、日本刀の飾り金具である刀装具師の下で7年間学び、独立。ジュエリーブランド「MAYA」を立ち上げ、和彫りや銀線細工の技術を生かした作品を各地百貨店で発表されている。
記者:
今回の企画展を行おうと思ったきっかけやテーマなどについて教えていただけますか。
麻矢さん:
この展示を企画したのは娘の私の方なんです、普段はジュエリーを作っていて、とても小さい世界に伝統技術を詰め込んできました。でも、もう少し大きくアート的なものを作りたいなって思った時に、すぐそばに昆虫の資料がたくさんあったんですね。
なので父の標本などを借りて、最初スケッチするようになりました。そこから金属に起こしたアート作品を少しずつ作るようになっていきました。
なかなか多くの作品を並べて発表する機会もなかったので、今回はリアルな標本と見たものを隣に並べて作品を展示したいなって思いました。(昆虫標本と彫金作品)両方を並べて見れるっていう企画ってないなって思って、今回、父と一緒に大々的にやってみようと思って企画しました。
オオトラフコガネ
記者:
企画展のタイトル「虫譜」には、親子それぞれが感じる昆虫への思いやイメージ、そして音楽的な調べのように生み出された作品へのこだわりが込められていますが、二人の異なる視点と創造性が響き合う点について伺います。
会場となったギャラリーハンナ 外観
麻矢さん:
虫に対するイメージって、親子で二人とも違っていたんですけど、それぞれの調べとして、音楽的な譜面として、自分たちから生み出したものとして、ちょっと「譜」っていう文字を使って、虫とその自分たちの調べっていうことで、そういう「虫譜」とつけました。
●父・松村雄さんから見た展示のポイント
記者:
次に父の雄さんに、この企画展で見ていただきたいポイントについてお聞きかせください。
雄さん:
昆虫の多様性ですね、ハナバチとかアブとか、それらのグループの標本をまとめて、昆虫の多様性を、みんなに見ていただきたいな、ということで、今回進めてきました。
松村雄さんの標本と松村麻矢さんの作品
●娘・麻矢さんが標本を素材に選んだ理由と表現したい世界観
記者:
次に、娘である麻矢さんは標本を使ったアート作品を作られていますが、標本を素材に選んだ理由や表現したい世界観についてお聞かせ下さい。
麻矢さん:
実は父の分野である虫をモチーフにするのは避けていたんですけど、やっぱり小さい頃から身近にあったものなので、やっぱり興味がそちらに行きます。
リアルな標本を身近で見ていて、こんなにも面白い形で虫って作られているんだと、まじまじと見ることができたんですね。
それで昆虫をいくつか作ってみて、やっぱり視点、たとえば足をリアルに作り込むなど、そうしたリアルさを追求しつつ、デザインは着物のモチーフとか、アールヌーヴォーとかの模様をミックスさせて昆虫をデザインしているんです。
その際にも、標本をよく観察してリアリティを追求するようにしています。
それは、やっぱり身近に標本がないと(だめで)、どこから足がついているのとか、父の標本がなかったらちゃんと作り込むことができなかった。
それを自分のデザイン性と標本を融合させて作ることができました。
クツワムシ(キリギリス科)の作品
●企画展に寄せる思い
記者:
インタビューの最後に、今回の企画展に寄せる思いをお二人にお聞きします。
麻矢さん:
私は今回一番やりたかったものとしては、父の標本と自分の作品を横並びに、リアルの虫と彫金の金属の虫を並べるっていうことをやりたかったので、それが叶ったので良かったなって思っています。
雄さん:
私はずっと昆虫一筋にやってきた男なので、皆さんが虫の世界の多様性を感じ、自然の素晴らしさを見て、少しでも悟っていただければ嬉しいなと思います。
ーとお話いただきました。
インタビューありがとうございました。
企画展「虫譜・昆虫学者と彫金作家のかたち」では、親子それぞれが昆虫に向き合い、異なる想いやイメージを「調べ」として表現した世界を見ることができた。「虫譜」というタイトルには、音楽の譜面のように二人がそれぞれの視点で感じた虫の魅力や生命の輝きを、自分たちの調べとして記録し、奏でるという想いが込められている。
標本は科学的な資料であると同時に、親子が生み出した独自の旋律として私たちに語りかけてきたのではないでしょうか。親子で紡いだ「虫譜」の世界からは、新たな響きとともに、これまでにない標本の形を感じていただけたことと思います。
取材協力:
Gallery HANNA -絆和- ギャラリーハンナ
https://galleryhanna.com/
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