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学びの先駆者

山階鳥類研究所が守り抜く標本の価値について-小林さやか研究員インタビュー

公益財団法人 山階鳥類研究所 小林さやか研究員インタビュー

山階鳥類研究所 小林さやか 研究員

山階鳥類研究所 小林さやか 研究員

はじめに

今回は、公益財団法人山階鳥類研究所(以下、山階鳥類研究所)の小林さやか研究員に、同研究所の設立背景や標本の活用、そしてその重要性について深くお話を伺った。全国の教育機関に所蔵される鳥類標本の現状、さらには山階芳麿博士が学校法人 市川学園に寄贈した「山階鳥類標本展示室」に所蔵されている鳥類標本の標本目録や関連資料の存在についても掘り下げる。
また、小林研究員が論文として発表した、明治時代に採集された南鳥島産標本の情報復元に関する研究にも焦点を当てる。
本稿では、過去と現在をつなぐかけがえのない証拠として、標本が持つ価値と、その情報復元がもたらす新たな知見についてお聞きしていく。

公益財団法人 山階鳥類研究所 小林 さやか 研究員
鳥類標本の歴史を調べ、これまで不明確だった標本情報を復元する研究をされている。これまでに「明治期の南鳥島産鳥類標本の情報復元」などの論文発表がある。

山階鳥類研究所の歩み:戦火を越え、標本を守り抜いた信念

山階鳥類研究所の歴史は、標本を守り続けることへの強い信念に貫かれている。1932年、山階芳麿博士が東京・渋谷の自宅に標本館を設立したのが始まりだ。利用者の増加に伴い、1942年には財団法人として正式な研究所へと発展した。

門からの外観風景

門からの外観風景


戦時中、博士は標本を最優先で守り抜いた。戦後の困窮期には敷地を売却してまで標本と図書の保存を選び、その精神は今も受け継がれている。ここでは、そんな山階鳥類研究所について話を伺っていく。

記者:
研究所設立の背景と標本の意義、そして現在力を入れている活動についてお聞かせください。

小林研究員:
創立者の山階芳麿博士が、1932年(昭和7年)に自邸内に「山階家鳥類標本館」を建てたのが始まりです。標本や文献を見たいという要望が増え、10年後の1942年に財団法人化して山階鳥類研究所が設立されました。

山階鳥類研究所では希少種の保全、特にアホウドリの保全・保護に力を入れています。また、山階博士が残した標本や図書に加え、著名な鳥類学者から寄贈された標本も含めて膨大な数になっており、その維持管理を続けています。

山階芳麿博士 銅像

山階芳麿博士 銅像

記者:
山階芳麿博士が標本研究や鳥類学において果たした役割、また博士の精神はどのように受け継がれていますか。
小林研究員:
博士は戦前、標本収集に励み、それらを研究に活かしていました。戦時中には自宅が焼失する中でも研究所を守り抜きました。特に晩年は希少鳥類の保護と保全に尽力され、その精神は今も当研究所の鳥類の保全活動に活かされています。私たちは博士の遺志を受け継ぎ、次世代に伝えていきたいと考えています。


ー山階鳥類研究所の歩みからは、標本を守り抜くという強い信念が幾度もの困難を乗り越えてきたことがわかる。戦火の中でも守られた標本や図書は、山階芳麿博士の情熱の象徴であり、「未来へ残す」という思いが時代を超えて受け継がれている。

教育現場の標本とその未来

全国の学校には多くの鳥類標本が収蔵されている。山階鳥類研究所は2003年から2004年にかけて、全国約1,000校にアンケートを送り、標本の保有実態を調査した。その結果は、山階鳥類研究所のウェブサイトや所員が執筆した論文で公開されている。

学校法人 市川学園 山階鳥類標本展示室

学校法人 市川学園 山階鳥類標本展示室

 参考リンク 
●全国の学校が保有する鳥類標本の現状に関するアンケート調査(概要)
  https://www.yamashina.or.jp/hp/yomimono/enquete2004/enquete_report.html
(山階鳥研NEWS 2005年10月号(No.199)より転載)
●学校が保有する鳥類標本の実態に関するアンケート調査(論文)
https://doi.org/10.3312/jyio.37.56

調査の結果、回答校の約半数が標本を保有し、そのうち4割の学校にトキ、コウノトリ、ライチョウなどの希少種が含まれていることが判明した。しかし、学校の統廃合や校舎の建て替えにより、標本が失われる危険性も明らかになった。ここでは、教育現場に置かれている標本の現状について伺う。

記者:
全国の教育機関における鳥類標本の保有実態調査について、その背景と目的を教えてください。

小林研究員:
調査は20年以上前ですが、当時、全国の教育機関がどのような標本を持っているか分かっていませんでした。ある先生から「学校で希少種の標本が見つかることもあるが、統廃合で処分される危険もある」と提案され、調査を始めました。古い学校が標本を持っているだろうという程度しか分からず、創立年を調べ、アンケート用紙を郵送し、手探りで調査しました。

記者:
調査を通じて見えてきた現状や課題を教えてください。

小林研究員:
2003年と2004年に実施し、約1,000校から回答を得ました。約半数の学校が標本を保有し、そのうち約4割がコウノトリ、トキ、ライチョウなどの希少種を持っていることが分かりました。処分の危機にあると回答した学校もありました。私たちの調査は状況把握までしかできませんでしたが、昨年(2024年)、千葉県立中央博物館で学校標本を扱った特別展が開催されるなど、標本の重要性が見直されてきていると感じています。

参考資料
   ●千葉県立中央博物館 令和5年度春の展示「理科室のタイムマシン 学校標本」が
日程:2024年3月9日(土)~2024年5月12日(日)迄開催されていました。

ー全国の学校に所蔵されている鳥類標本は、教育や研究の貴重な財産である一方、統廃合や校舎の建て替えによって失われる危険を抱えている。山階鳥類研究所の調査により、希少な鳥を含む多くの標本が学校現場に存在することが明らかになった。これらの標本は過去の自然環境や地域の歴史を伝える大切な証拠であり、その価値を社会全体で再認識し、未来に残していくための保護と活用の取り組みが求められている。

標本が伝える地域の歴史:市川学園の山階鳥類標本展示室

ここからは、学校現場での標本に話を移す。1939年、山階芳麿博士が学校法人市川学園(千葉県市川市)に鳥類標本を寄贈した出来事は、標本の来歴をたどる上で重要である。なぜなら、博士の日記、標本台帳、寄贈目録など、さまざまな記録を照合することで、標本の由来と寄贈の経緯が明らかである。
ここでは、学校法人市川学園 (山階鳥類標本展示室)で保存されている標本と、山階鳥類研究所に保存されている寄贈関連資料について伺った。

市川学園内にある山階鳥類標本展示室

市川学園内にある山階鳥類標本展示室

記者:
千葉県市川市の市川学園(旧制市川中学校)に、山階芳麿博士が寄贈した標本群がありますが、その寄贈資料について教えてください。

小林研究員:
山階鳥類研究所には山階博士の日記が残されており、1939年12月に市川学園へ寄贈した記載があります。博士の日記には、1939年(昭和14年)11月14日に市川中学校の先生が下見に来訪し、12月6日に「鳥類標本28箱+2箱をトラックで発送」と記されています。運送会社の受領書、寄贈目録、標本台帳にも「市川中学校」と記されており、さまざまな記録が寄贈の事実を裏付けています。

寄贈当時の目録

寄贈当時の目録

山階芳麿博士の日記

山階芳麿博士の日記

市川中学校への寄贈目録も残されていました。採取日や採集地が書かれた標本台帳からリスト化したところ、大正時代の標本が多く、当時の日本領だった朝鮮半島、台湾、樺太などの地域の標本があるのが特徴でした。また、「東京麹町富士見町」で採集されたキビタキとドバトの標本が市川学園に寄贈されています。そこは山階博士が成人まで暮らした山階宮邸のことで、皇居に近い場所です。キビタキは現在も皇居を通過しているので、標本は100年以上前も同じように通過していた証拠になります。

当時の山階宮邸場所

当時の山階宮邸場所

山階宮邸で採集されたキビタキの標本

山階宮邸で採集されたキビタキの標本

ドバト

ドバト

ー山階芳麿博士が市川学園に寄贈した鳥類標本は、博士の日記や標本台帳をもとに、標本一つひとつの来歴を明らかにすることができる。そして、このことは市川学園がこれからの標本を寄贈当時のまま大切に保存されていることの重要性を示している。

明治期の鳥類標本の情報復元研究:南鳥島の鳥たちが語る過去

次に、過去の鳥類標本の情報復元に取り組んだ研究について、話をうかがった。小林研究員は、かつて東京帝室博物館(現・東京国立博物館)が所蔵していた標本群(注1)の中に、由来が不明な明治35年(1902年)採集の南鳥島産標本を見つけ、「明治期の南鳥島産鳥類標本の情報復元」という論文にまとめた。この研究から見えてくる探究心と復元のプロセス、そして標本情報を復元する方法について伺った。

「明治期の南鳥島産鳥類標本の情報復元」論文資料 

「明治期の南鳥島産鳥類標本の情報復元」論文資料 

 引用
 小林さやか・加藤克(2022).明治期の南鳥島産鳥類標本の情報復元.山階鳥類研究所研究報告,54(1):103-139.     
https://doi.org/10.3312/jyio.54.103

注1 東京帝室博物館が所蔵していた標本群
 ● 東京帝室博物館は、1923(大正12)年まで東京帝室博物館天産部(課)という部署があり、鳥類を含む自然史標本を所蔵していました。かつて同博物館が所蔵していた鳥類標本は、現在、山階鳥類研究所のほか、国立科学博物館と学習院中・高等科に所蔵され、標本台帳は国立科学博物館に保管されています。 

記者:
情報の少ない古い標本の情報を復元するのは困難な作業かと思いますが、この研究テーマを掲げた経緯と目的をお聞かせください。

小林研究員:
山階鳥類研究所には古い標本がたくさんあります。山階芳麿博士が1930年代に収集した標本が多いのですが、それより前の明治期のものもあり、それらは、寄贈によって集まったものです。時間が経過したこともあり、その経緯が不明になっているものもありました。これはどこからどう来ているのだろうという疑問がわき、調べてみたいと思ったのがきっかけです。

記者:
それら明治期の標本について詳しく教えてください。

小林研究員:
山階鳥類研究所の標本に「南鳥島」や「明治35年」と書かれているものがありましたが、それ以上のことは分かりませんでした。東京帝室博物館の標本台帳(注1)などを調べていく中で、寄贈者や鳥の歴史などの情報をつなぎ合わせると、1902年(明治35年)に起こった南鳥島事件(注2)に関連した標本であることが分かりました。

注2  南鳥島事件について
●南鳥島事件は、1902年に南鳥島の領有を巡り日米間で発生した外交問題で、最終的に日本領と認められたことで領有権が確定した出来事である。

南鳥島、明治三十五年と記載されているラベル

南鳥島、明治三十五年と記載されているラベル

東京帝室博物館の標本台帳の番号が記載されたラベル

東京帝室博物館の標本台帳の番号が記載されたラベル

記者
論文では、東京帝室博物館の標本台帳と台帳番号が記載されたラベルを照合し、26点が現存していたことが記載されています。それらの標本をどのように同定したのか、アオツラカツオドリを例に教えてください。

論文からの抜粋

論文からの抜粋

小林研究員:
アオツラカツオドリは現在の南鳥島には記録がなく、標本は種が明確にできずにカツオドリの1種として山階鳥類研究所に登録されていました。
南鳥島事件の際、アメリカの調査隊(ビショップミュージアムのキュレーター)が調査しており、その報告書と照合すると、当時アオツラカツオドリがいたことが分かりました。このことで、標本をアオツラカツオドリと同定できました。

記者:
実際の標本を見せていただき、アオツラカツオドリとアカアシカツオドリについて解説をお願いします。

●小林研究員:
明治時代の記録と南鳥島の標本を照合すると、これまで不明確だった種が同定できました。
例えばこの4点は種が不明確で「カツオドリの一種」と登録されていた標本です。標本ラベルと台帳の照合から東京帝室博物館が所蔵していた南鳥島産標本と確認されました。左の2点はアカアシカツオドリ、右の2点はアオツラカツオドリと同定されました。
これら4点の形態の特徴も検討しましたが、両種とも南鳥島事件のアメリカの調査隊の報告書に記録があったことが種同定の手がかりになっています。

情報が復元された標本

情報が復元された標本

証拠をつなぐストーリー作り:標本と記録が未来の研究の土台に

標本史研究で大切なのは、ラベル、台帳、寄贈書類、日記、報告書など、さまざまな記録を組み合わせて、証拠で裏付けられたストーリーを作ることだと小林研究員は語る。すべての情報がそろわなくても、矛盾のない範囲で情報を積み重ねていけば、その標本に新しい意味やメタデータが加わる。こうした方法で記録を残していくと、将来データベースでつなげたり、他の研究者が検証したりしやすくなり、誤った同定の修正や新発見にもつながる。標本と記録を一体として保存・公開する体制づくりが、科学の信頼性を高め、未来の研究へとつながっていく。それらの取り組みについても聞いた。

記者:
情報復元から見えてきた歴史的考察と標本の評価についてお話しください。

小林研究員
現在の南鳥島では海鳥は数種しか記録がありませんが、明治時代には18種の記録があり、11種も繁殖していたことが分かっています。標本はその記録の証拠となるものです。明治時代の南鳥島の標本は、当時の鳥類相を示すとても重要な証拠だと考えています。

記者:
情報復元を形づくるストーリーの重要性について、どのように捉えていますか。

小林研究員:
標本ラベルや台帳から断片的な情報を読み取り、さらに採集した人物や南鳥島の歴史などを照合していくことで、特定できない場合でも限定的な情報が得られます。それを標本に加えることで、また違う発見が生まれる。そこがこの研究のおもしろさです。

記者:
若い研究者にも標本研究の指導をされていますが、標本資料の情報復元作業を進める上で、今後特に重要と考える視点や方法は何でしょうか。

小林研究員:
私の研究だけに限ったことではありませんが、とにかく自分の好きを極めていただくのが一番の方法だと思います。好きであればそれを調べたい、知りたいとなりますから、それが一番の視点だと考えています。

記者:
標本と関連資料、文献を一体的に研究することの意義について改めて説明してください。

小林研究員
標本はとても重要ですが、標本だけでは情報が限定的です。標本に付属する資料、例えばどこからいつ寄贈されたものか、どういう状況で採集されたものかという情報が加わることで世界が広がります。今は標本と文献が別々に保存されていますが、一貫して保存できればもっと面白い研究になると思います。

 

 —小林研究員は「自分の好きを極める」姿勢が最も重要と語る。好きだからこそ深く調べ、知りたいという探究心が生まれるため、若い研究者にはその気持ちを大切にしてほしいとしている。さらに、標本だけでなく関連資料や文献を一体的に研究することで、標本の持つ情報が広がり、より深い理解や新たな発見につながると強調する。標本資料の情報復元作業は今後ますます重要性を増し、研究の幅を広げていくことが期待される。

社会や次世代へのメッセージ:標本が語り継ぐ物語

標本資料は学術的な価値だけでなく、そこに関わった人々の思いや歴史的な背景が詰まっている。小林研究員は、まだ知られていない標本やその背景を調べ、保存し続けることが未来への大切な財産になると考えている。標本を通じて人や社会の物語を次世代へ伝える意義について、小林研究員に話を聞いた。

記者:
標本やその背景を伝える活動を通じて、社会や次世代にどのようなメッセージを届けたいですか。

小林研究員:
まだ知られていない標本や標本群もあります。それらを調べることで、社会的背景や採集の経緯が分かり、(新たな価値を)世の中に伝えられると考えています。山階博士は戦前は裕福な生活をしていましたが、戦争中に邸宅が焼けて標本館だけが残りました。戦後困窮したときも敷地を売って標本や図書を守りました。その精神を今の研究所も引き継いで守っています。これを守り続けて次世代に伝え、100年、200年先にも使える状態で引き継ぐのが私たちの役割です。今も標本収集を続けており、時代を通じて継続して標本を残すことの大切さを伝えていきたいです。

—と語り、インタビューを締めくくっていただいた。

 
山階芳麿博士の胸像と小林さやか研究員

山階芳麿博士の胸像と小林さやか研究員

最後に

本日は、山階鳥類研究所の小林さやか研究員に、標本の情報復元やその意義について詳しくお話を伺った。明治期の南鳥島産鳥類標本の情報復元研究からは、断片的な資料をつなぎ合わせて新たな発見につなげる探究心と、過去から未来へと情報を受け継ぐ大切さが伝わってきた。また、若い研究者へのメッセージとして、自身の好きを極めて調べ、知りたいという気持ちが研究の原動力になるという言葉も印象的だった。
標本の保存や情報復元の取り組みは、次世代への大切なメッセージである。
「100年、200年先にも使える状態で引き継ぐ」小林研究員の言葉からは、標本を守り続けてきた先人たちへの敬意と、次世代へつなぐ強い使命感が感じられた。

今回のインタビューを通じて、標本の持つ歴史的価値や未来へつなぐ重要性を改めて感じることができた。

貴重なお話をありがとうございました。

 参考リンク :
●全国の学校が保有する鳥類標本の現状に関するアンケート調査(概要) 
  https://www.yamashina.or.jp/hp/yomimono/enquete2004/enquete_report.html
(山階鳥研NEWS 2005年10月号(No.199)より転載)
●学校が保有する鳥類標本の実態に関するアンケート調査(論文)
https://doi.org/10.3312/jyio.37.56

取材協力:
公益財団法人 山階鳥類研究所 
https://www.yamashina.or.jp/

関連動画:
【標本ナビ】山階鳥類研究所 「標本の情報復元は楽しい!」小林さやか 研究員インタビュー
https://youtu.be/JkdFSR9bLg4

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